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こんな日は、一人暮らしでよかったと思う。 大学生にもなって人形遊びか。なんて言われずに済むからだ。 僕は濡れた雨具を乱暴に脱ぎ捨て、泥で汚れた箱を服の下から取り出した。 直接テーブルの上に置くのは憚られたので、読み終えた雑誌の上にその箱を乗せ、再び蓋を開く。 先ほどと同じように人形はそこにあった。 いや、僕の勘は人形では無いと言っている。童話に出てくる小人の類だろうか? 確かに顔立ちは整っていて綺麗だけど。 大きさで言うなら女の子が小さな頃に買ってもらう着せ替え人形サイズ。 細身の体で、その腕は僕が使っているボールペンよりも細そうだ。 指もつまようじより細い。 もし生きているのなら、僕が下手に触れば骨を折ってしまうかもしれない。 だが、こうして落ち着いて観察すると、この箱の中が濡れていいる事が分かった。 完全に封がされていたわけでもない箱だから、隙間から水が入り込んでいたのだ。だから彼の衣服もしっとりと濡れているし、良く見れば髪も濡れて顔に張り付いていた。 もし生きているのなら風邪をひいてしまう。いや、もしかしたら既に体を壊しているのかもしれない。だから起きれないのだ。 まずはここから出さなければと、洗面台で泥で汚れた手を洗い、クローゼットの奥から新品のタオルが入った箱を引っ張り出した。 親がお歳暮でもらった高級タオル。 一人暮らしを始めた時に親に持たされた物の一つだ。 箱の中には2枚のタオルが入っていた。 さすが高級品。手触りはふかふかで、この上に寝かせればいいと、箱からタオルを取り出し、一枚を折りたたんだままその箱に敷いた。 そして、汚れた宝石箱に眠るおそらくは小人の彼を両手で慎重に持ち上げる。 何処かにぶつけるだけで怪我をするかもしれない。 壊れ物を扱う様にタオルの上に移動させた。 そしてもう一枚のタオルを軽くその体に掛けた。 本当なら衣服を脱がして拭くべきだろうが、僕はあまり器用ではない。 力加減を誤って大怪我をさせるだろう。 あの腕も指もあっさり折れるに違いない。 ならば、乾いたタオルで包んでおく方がまだいい。 汚れた宝石箱は洗って置いたほうがいいだろう。 そして、泥と汗を流すためシャワーを浴びようと、僕は洗面台に移動した。 泥のように体が重い。 寒い。 喉が渇いた。 頭が痛い。 キーボードを力強く叩く音が頭に響く。 しゅうしゅうと、お湯が沸く音が聞こえ、暫く後誰かが歩く大きな足音と、ガチャリと食器がぶつかる音が聞こえた。そしてお湯が注がれる音と、コーヒーの香り。 歩く足音は妙に大きく、地面が揺れるほどの重さがあるようだった。 俺はいつから寝ていたんだ? くそ、寝てなどいられないのに。 捕まる前に目を覚まさなければと、硬く閉ざされた瞼をこじ開けた。 暗い世界から光あふれる世界を脳が認識した時、再び激しい頭痛に襲われた。思わずうめき声をあげながら辺りを見回すが、視界が霞んでいてよく解らない。 解るのは天井が妙に高い事。 そして毛布が妙に重い事。 周りに見える壁はまるで紙のようにも見えた。 なんだろう、何かがおかしい。 何度も瞬きを繰り返し、ようやく霞が取れてきた時、目の前にある物を見て、思わず頓狂な声を上げてしまった。 「・・・え?何今の?」 近くで聞き慣れない男の声が聞こえたが、とりあえず無視だ。 俺を追う連中があんな間抜けな返しをする筈がないからな。 しかし、何だこれは。 レンズか? カメラや何かのレンズに見えるが、大きすぎる。俺の顔より遥かに大きいぞ? 俺の方に向いているのは何でだ? 監視カメラにしては大きすぎるし、目立ちすぎるだろう。 のろのろと、重い体を起こし、レンズに触れる。冷たく硬質な感触が掌に感じられ、夢ではない事を示していた。 レンズには寝乱れた自分の姿が反射して見える。 何だこれは。 ずるりと落ちた毛布をよく見ると、毛布というよりタオルに見えた。とはいえ、パイル地にしては糸が太すぎて、まるで布からロープが生えているようだ。 生地も分厚い。 「やっぱり、生きてるんだ」 驚きと喜びが入り混じったそんな声が頭上から降り注いだ。 声の方に視線を向けると、そこには巨人がいた。 「ほわぁぁぁぁ!?」 あまりの事に、俺は思わず素っ頓狂な悲鳴をあげた。 巨人も俺の声に驚き、ぱちくりと大きな目を瞬かせた。 「あ、大丈夫?驚かせてごめんね?怖がらなくていいよ。君、体辛くない?風邪ひいたりしてない?ああ、言葉わかるのかな?」 巨人はくるくるとしたくせ毛の茶髪に、深い緑色の瞳をしていた。その瞳は優しく細まり、穏やかで落ち着いた声で語りかけてきた。人の良さそうな笑みを浮かべるこの巨人は敵ではないのだろうか?少なくても食用にする気はなさそうだ。 「えーと、困ったな。具合悪くないか、どう聞けばいいんだろう?」 あまりにもこちらから反応が無いため、巨人は困ったように眉尻を下げ、屈み込むと視線を俺に合わせてきた。 「・・・言葉は、解る。具合は・・・悪くは無い」 はっきり言って、頭痛は酷いし、体中は痛いし、吐き気もある。寒気もひどくて僅かに体が震えているが、それを口にした所で相手は巨人。治療など不可能だ。 ならば弱みを見せるだけ馬鹿だ。口を閉ざし、何事も無く振舞う方がいい。 「え?あ、良かった。ああ、良くないのか。僕が怖くて嘘ついてない?具合悪いように見えるよ?服も濡れたままだし。どうしようかな」 流石に君のサイズの服は無いからなぁ。 そう言いながら巨人は、ああそうだと大きなカップを手に戻ってきた。 形から行ってスープ用のカップだろうか。やはり巨人用だからかなり大きいが。 俺一人余裕で入れる大きさだ。 「体調悪い時にはあまり良くは無いんだけど、体も冷え切ってると思うし、一回温まろうか?」 そう言うと、巨人は大きめの皿の上にそのカップを置くと、お湯と水を注いだ。 そしてまた、ばたばたと大きな足音を立てて何処かに行った後、何やら袋を手に戻ってきた。袋には日本語で温泉の素と書かれている。それでようやく巨人が何をしようとしているか理解できた。 「ちょっとは効果あるといいんだけど」 粉末状のその温泉の素をカップに入れ、スプーンでかき混ぜると、乳白色のお湯が出来上がった。指を入れてお湯の温度を確認し、巨人は良し。と頷いた。 「とりあえず、お風呂代わりに入っててくれるかな?君が今着てる服、洗いたいし」 正直、あちこちに泥がついているし、川の水のにおいだろうか、泥臭くて気持ち悪い。 ここは素直に、巨人の好意に甘える事にした。 透き通りような白い肌と、艷やかで手触りの良さそうな漆黒の髪、整った顔立ちは本当に人の手で作られたかのようで、その瞳は宝石のような輝きを持った持つ紫玉。モデルや俳優でもここまでの人物はそう居ないだろう。 童話の住人や妖精は美しく描かれる事が多いのは、本当に美人揃いだからなのか。 やっぱり綺麗だな。 目を覚ました小人が入浴している姿を見て、僕は心の中でそう呟いた。 と言っても直接見ているわけではない。 以前使うかもしれないと買ったノートパソコンに、これまた以前買ったWEBカメラとマイクを接続し、それを彼に向けているのだ。 先ほど彼が触れたのはそのカメラのレンズ。なにせ相手は小さすぎて、怪我があるかどうかもよく解らなかったから、こういう時にこれが仕えるんじゃないかと思って接続していたら、画面に映った彼が目を覚ましたのだ。 パソコンの画面上では大きく映し出された彼の姿に一瞬息をのんだが、それはあくまでも一瞬。顔色が悪く何処か辛そうで、すぐにでも瞼が閉じそうなぐらい衰弱している事も一目で解った。 だがこれだけサイズが違えば手当など出来るはずもなく、薬を与える事さえ出来ない。 ならば体を芯から温め、食事をさせ、眠らせるしかないと、こうして入浴を進めたところ、どうやらお風呂は好きらしく、皿の上で泥に汚れた体を洗った後、心地よさそうにのんびりとお湯に浸かっていた。 そして今その姿がパソコン上に映し出されていたのだ。 完全に盗撮なのだが、これは小人の様子を見る上で大事なことで、彼の体調を目視で確認するという、とても重要な理由があるのだからセーフだ・・・と、思う。 ネット接続されていないパソコンだから外部に漏れる訳じゃないし、最悪バレたら僕が怒られるだけだ。つまり、彼にバレないようにだけ注意すればいい。 青白かった頬に赤みがさしはじめ、男なのが勿体ないなあと思っていると、小人がこちらに視線を向けた。 こちらというよりレンズにだ。 もしかしたらこれで確認している事に気づいているのかもしれない。 軽く動揺しながら、僕はパソコンから視線を外し、カップから身を乗り出している彼を見た。白い湯気と、上気した肌、濡れた肢体。直接肉眼で見る彼は、画面で見るより艶めかしく感じられた。いや、待って。いくら美人でも相手は同性だ。自分の思考に戸惑いながらも、僕は声をかけた。 「上がる?」 「ああ。あまり長湯はしない方がいいからな」 僕から見れば十分長湯なのだが、彼からしたら短いらしい。 彼をカップから出すため、僕はテーブルに近づいた。 スープカップは思った以上に深く、底の部分が湾曲している為、彼の小さな体では直接出入りするのは難しい。 だから僕は指先をスープカップの中に沈めた。彼は僕のお親指に手を乗せると、軽く曲げた指の上に登る。それを確認すると指をさらに曲げて掬いあげ、もう片手をその体を軽く覆う様に合わせ、ゆっくりと持ち上げる。彼の小さな腕と手が僕の指にしがみつくのが感じられた。 静かにバスタオルの上に降ろすと、彼も僕もほっと息をついた。 「すまないな」 「気にしないで。ちゃんとタオルで体拭いてね。まあ君には大きいから拭くのは大変だろうけど」 何せその体の何倍も大きな布地だ。 持ち上げるのだけでも一苦労だろう。 ハンカチでもあればいいのだが、残念ながら僕は持っていなかった。 「問題無い」 彼はそう答えタオルを捲ると、その中に身を沈めた。そしてそのまま目を閉じてしまう。 「駄目だよ。ちゃんと拭かないと」 「・・・疲れた。眠る」 見ると目が落ちかけていて、やっぱりお風呂は辛かったんだなと気がついた。 ふかふかなタオルは彼の体の水滴を素早く吸収しているようなので、まあ大丈夫かなと判断した。 「ああ、寝る前に何か飲まなきゃ。寝るのはその後」 長い間寝ていたうえに、お風呂まで入ったのだ。 脱水症状を起こしてしまう。 彼はその言葉に、閉じていた瞳を開け、怠そうに体を起こした。 そこまで言って、この小さな彼にどう飲ませればいいのだろうと、考えた。 彼のサイズのカップは当然ない。 仕方なく、ティースプーンに水を掬い飲ませる事にした。 |